万国津梁の首里城

世界遺産
世界遺産奈良県外

約500年に渡り栄えた琉球王国の居城

首里城の創建は14世紀ごろと言われていますが詳しいことはわかっていません。
その後1406年に尚巴志が琉球王国支配のための居城として以来、1879年、最後の国王・尚奏が明治政府に明け渡すまでの約500年に渡って琉球王国の政治・外交・文化の中心として栄華を誇りました。
首里城には中国や日本、東南アジアなどの交易から様々な文化がもたらされ、漆器、染織物、陶器、音楽など琉球独特の文化が花開きました。
1945年の沖縄戦で焼失しましたが、1992年、沖縄本土復帰20周年を記念して18世紀の首里城をモデルとして復元されました。
鮮やかな朱色に彩られたその姿は王国の歴史・文化を伝える殿堂であり、沖縄のシンボルそのものともいえるでしょう。

万国津梁(ばんこくしんりょう)とは1458年に首里城正殿に掛けられた万国津梁の鐘のことで、海洋貿易を支えた琉球王国の気概を示す名文が有名です。

世界遺産

首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として2000年に世界遺産に登録されています。
琉球王国の政治・外交・文化の中心地として威容を誇った首里城。
中国と日本の建築文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には高い文化的・歴史的価値があるとされ、日本では11番目に世界遺産に登録されました。

首里城正殿

唐破風妻飾(からはふつまかざり)

唐破風の妻壁には中央に火炎宝珠と大蟇股(だいかえるまた)、両脇には金龍と瑞雲の彫刻が施されとても華やかです。
写真左下の石像は正殿大龍柱といい阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)を表しています。
他にも獅子と金龍や牡丹唐草、柱にも龍の阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)が描かれています。
国王の象徴である龍が場内にいくつも見られますが、そのほとんど阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の対になっています。

御庭(うなー)

紅白の瓦を敷き詰めたストライプの中庭は琉球独特のものです。
ここで様々な儀式が行われ、諸官らはこの模様を配列の目安にしたそうです。
紅白の中庭の周りに重要な施設が並んでいます。

守礼門(しゅれいもん)

尚清王時代(1527-1555)に創建されました。
扁額の「守禮之邦」とは「琉球王国は礼節を重んずる国である」という意味です。
足が細く華奢な印象です。

那覇市街を眺めることができます。

歓会門(かいかんもん)

首里城の正門です。
中国皇帝の使者「冊封使」(さっぽうし)など訪れる人への歓迎の意味を込めて名前がつけられました。

正殿からの眺め
紅白のタイルが並ぶ御庭を眺めることができます。

漏刻門(ろうこくもん)

櫓の中の水時計で時刻を図ったことで名付けられました。
身分の高い役人も国王に敬意を表してここで籠を降りました。

2019年10月の火災で焼失してしまい、とても残念です。
また美しい姿が戻った時にはぜひ訪れたいと思います。

首里城

〒903-0815
沖縄県那覇市首里金城町1丁目2番地
TEL098-886-2020
(首里城公園管理センター)

カメラ:SONYa6000
レンズ:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS

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