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東大寺法華堂二つの建物


東大寺法華堂は平安時代に建てられた東大寺最古の建物です。
東大寺境内の丘陵部に位置しています。

東大寺の前身寺院で金鐘寺(きんしょうじ)の遺構とされています。
別名三月堂と言われ、旧暦三月に法華会が行われたことから三月堂と呼ばれています。

元は寄棟造の正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)が軒を接して建てられていましが、鎌倉時代に礼堂を入母屋(いりもや)造りに改築して2棟を繋いだものです。

正堂は奈良時代の建築ですが、礼堂は大仏様(だいぶつよう)の特色が見られる鎌倉時代の建築です。
時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和のとれた美しい姿を見せています。

堂内に安置している10体の仏像も奈良時代のものです。

奈良公園を歩いていきます。
芝と青空が気持ちいいです。

若草山も綺麗です。

法華堂(三月堂)
東大寺大仏殿ができる(752年)以前からここにあり、この辺りは上院と呼ばれています。
このような屋根の作りを入母屋づくりと言います。

真ん中で屋根の形状が違うのがわかります。
向かって左側が奈良時代の建築、右側が鎌倉時代の建築です。
これは側面です。
正面は手向山八幡宮の方(右)向いています。

法華堂経庫
法華堂の南に建つ校倉造りの倉庫です。
平安時代初期の建物です。

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真ん中につなぎ目があります。
本来は必要のない雨樋(あまどい)があります。
これは本来別の建物でここに雨樋があったことの名残です。

時代の違う二つの建物を違和感なく融合させています。
とても綺麗です。

東大寺では1180年(平安時代)の平重衡の兵火と、1567年(室町時代)の三好・松永の兵乱とにより創建当時の建物のほとんどが失われました。
東大寺に現存する奈良時代の建物は転害門(てがいもん)と本坊経庫(校倉)がありますが、奈良時代の建立の仏堂で残るのは法華堂のみです。

奈良公園の藤棚にミストが設置されていました。

周囲はとても綺麗なところです。

手向山八幡宮があります。

手向山神社の鳥居の前に法華堂があります。
堂内は全面板敷で奈良時代は土間が多かったので珍しいです。

重要文化財の石灯籠

すぐ隣には二月堂が。

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法華堂北門。
二月堂へ通じる門です。
1240年(鎌倉時代)建立。

ここをお水取りの松明が走ります。

二月堂からの眺め。

左の正方形の建物が四月堂です。

東大寺大仏殿が見えます。

下から仰ぎ見る二月堂も美しいです。
二月堂は二月に「お水取り(修二会」が行われることからそう呼ばれます。
二月堂は1180年(平安時代)の平重衡の兵火と、1567年(室町時代)の三好・松永の兵乱
には焼け残りましたが、1667年(江戸時代)のお水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されました。

お水取りの時にはこの芝に多くの見物客が集まります。

登廊がまたいい雰囲気です。
お水取りは752年の大仏殿開眼と同じ年から続く宗教行事でそのためだけに使われる建物です。
1669年の再建ながらお水取りの作法や習俗などは中世の雰囲気を色濃く残しています。
3月1日から14日までの2週間行われます。
二月堂の本尊十一面観音に練行衆と呼ばれる11名の行者が自らの過去の行いを懺悔しその功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事です。
「六時の行法」と言われる一日6度の行法(散華行道、称名悔過、宝号「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えるものなど)が終わった後に松明が先導してもう一度二月堂に戻ります。
松明はそのあと二月堂正面の舞台をめぐり、観衆に向かって火の粉を撒き散らします。
連日行われますが、中でも3月12日には籠松明と呼ばれる特大の松明11本が二月堂から突き出され、見物人でごった返します。

この登廊はその時に練行衆が二月堂へ上堂する時に通ります。

法華堂と二月堂の前に四月堂があります。
創建は1021年ですが1681年に再建されています。
四辺が各6mでこじんまりした建物です。
正式には三昧堂(ざんまいどう)と言います。

すぐそばには若草山が迫ります。

若草山からみた東大寺。

東大寺二月堂

転害門についてはこちらをご覧ください。

転害門から戒壇堂へ

手向山神社についてはこちらをご覧ください。

手向山神社

東大寺についてはこちらをご覧ください。

東大寺

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カメラ:SONYa6000
レンズ:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS

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Published in世界遺産奈良

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