興福寺阿修羅像公開
興福寺で阿修羅像が公開されています。
詳しくは天平乾漆群像展といい、現在耐震工事中の国宝館休館に展示されているものを、これまた修復工事中の金堂内の宗教空間イメージを試しに視覚化するために展示されています。
戦闘の神様
中金堂は6回の焼失、再建の後1717年に焼失し、約100年後の1819年に再建されましたが、老朽化のため現在修復作業中です。平成30年完成予定です。
今回の特別公開は阿弥陀如来像ほか25体を安置していて見ごたえがあります。
安置されているのは仮講堂といい、現在修復工事中の中金堂の仮の建物とされています。
中金堂の修復が終われば本来の講堂としての役目を果たすことになります。
阿修羅はインド神話に登場する戦闘の神で、仏教に帰依してその守護神となりました。
一般的には激しい怒りの顔で3つの顔と6本の手を持つ姿に表されるが、興福寺の像には怒りや激しさが見えず、表情は繊細で内面的であり、腕と体が細い少年の姿で表されています。
その表情には懺悔という仏教で重要な宗教行為が反映されていると推測されています。
細く優しげで戦闘の神というより穏やかな感じでした。
五重塔
730年(奈良時代)に興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后が建立しました。
とても力強く美しいです。
興福寺は何と言っても入場無料なところがいいところです。
奈良公園を歩くといつでもこの姿を見ることができます。
金堂
西向きの建物
726(奈良時代)年に聖武天皇が叔母元母太上天皇の病気回復を願って建立されました。
6度の被災、再建を繰り返し今の建物は1415(室町時代)年に再建されました。
阿修羅像は仮金堂で公開されています。
金堂と五重塔
広々として大きくていい眺めです。
金堂は近くで見ると大きくてさらに立派です。
南円堂
西国三十三所観音霊場の第9番札所です。
813(平安時代)年に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を祈って建てた八角円堂です。
地鎮を鎮めるために和同開珎や隆平永宝を巻きながら築き上げたことがわかっており、弘法大師空海が深く関わったことが伝えられています。
興福寺ではなく南円堂一つで独立して札所なんですね。
三重塔
1143年(平安時代)崇徳天皇が創建されましたが、1180年(平安時代)に被災し、間もなく再建されました。
北円堂とともに興福寺最古の建物です。
鎌倉時代の建物ですが、木割りが軽く細やかで優美な線を醸し出し平安時代の建築様式を伝えています。
北円堂
日本に現存する八角円堂のうち最も美しいと賞賛されています。
興福寺創建者藤原不比等の一周忌に当たる721年(奈良時代)に元明太上天皇と元正天皇が建立しました。
興福寺の中では西の端ですが、ここは平城京を一望できる一等地、平城京造営の推進者であった不比等の霊を慰める最良の場所です。
緑に覆われた北円堂、南円堂のあたりとても美しいです。
カメラ:SONYa6000
レンズ:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS
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