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今井町を訪ねて

堀を巡らせた城塞都市

今井町は室町時代(1532−1555)に一向宗本願寺の今井兵部卿寿によって開かれ、各地から商人、浪人を集めて町割りをし、四方に濠を巡らして自衛能力を高めました。
1568年織田信長に敗れた後は大和随一の自治経済の町として発展し、「大和の金は今井に七分」と言われたほどです。

今井町の町並みは東600m、南北310m、周囲に堀を巡らせた城塞都市で、内部の道路も見通しが利くものはなく、一度屈折させて軍事能力を高め、江戸時代には今井町の商人の生命、財産を守ることに役立ったそうです。

伝統的な様式を持つ民家が現存しており町割も当時のままほとんど残っていまので、江戸時代の雰囲気を感じることができます。

蘇武橋のエノキ

高さ15m周囲約5mの大木で、今井町の歴史的景観の一部を構成しており、地域のランドマークとしても愛されています。
樹齢420年

今井町まちなみ交流センター 花甍

観光案内所
町の地図をもらえます。

西には何も書いていないので、西には今井町がありそこを中心に書いていることがうかがえます。

今井山稱念寺(しょうねんじ)
1887年(明治10年)に明治天皇が宿泊されたことがあるそうです。

表門の四隅には動物がいる

豊田家住宅

歴史的な建物にはこのように説明がある
1662年ごろに建てられたのがわかる

屋根の模様も凝っていて美しい

屋号を表す木の文字が描かれている

牛を繋ぐための金具

マンホール
牛を繋ぐための金具
家紋にも使われているそう

留め具もおしゃれ

時代劇みたいな大きな木が残っている
こちらは豊田家資料館

大工町筋
自衛のため道が曲がっていて先が見えない。

上田家
南北のどちらかに向いている家が多いなか、この家は西に向いている。

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間口が道路に面している家が多いなか2m後退しているのも珍しい

お花の教室があった

河合家
今も酒屋業を営んでいる

隣が高木家

近鉄八木西口駅

ならまちと今井町

ならまちも同じような建物が残っていますが、ならまちは今井の町並みより歴史が古く奈良時代の710年に元興寺の境内として、また平城京の外京として整備されたのが始まりです。
794年平安遷都の際平城京の多くは風化しましたが、外京は国家鎮護の仏教寺院が多数あったために街を維持することができたそうです。
現在残っている建物は江戸時代ごろの建物が多いので今井町と同時期であったことがわかります。

ちなみに時代は。。。
弥生時代(紀元前300-250)
古墳時代(250-600)
飛鳥時代(592-710)
奈良時代(710-794)
平安時代(794-1185)
鎌倉時代(1185-1333)
室町時代(1334-1573)
安土桃山時代(1573−1603)
江戸時代(1603-1868)
明治時代(1868-1912)
大正時代(1912-1926)

こうしてみると弥生時代から奈良時代までの約1100年近畿の奈良に政権があり、日本の礎を築いた時代だったのだということがわかります。

今井町とならまちの始まりは約800年の時代の差がありますが、今井町の建物はしっかり保護されています。
今井町はボランティアの皆さんが熱心に説明してくれ、今井町に誇りを持っていることが伝わってきます。

カメラ:SONYa6000
レンズ:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS

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Published in奈良

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