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春日大社采女祭り

世界遺産/奈良

采女祭り

中秋の名月の日に猿沢池で采女祭りが行われました。

猿沢池は周囲360mで奈良八景のひとつに数えられる池で、池畔のしだれ柳越しに望む興福寺の五重塔は昔も今も変わらず絵はがきの画題になる名勝です。

猿沢池には采女伝説があります。
天皇のお側で使える采女が天皇に恋をしました。
一度召されましたが、その後召されないことを悲しんで猿沢池に入水しました。
これを聞き知った天皇は猿沢池に行き、歌を詠みました。

「猿沢の池もつらしな吾妹子がたまもかづかば水ぞひなまし」

意味は、
「猿沢の池の水まで恨めかしくてならぬ。
愛しい乙女が池に身を投げて水中の藻をかつ(被、)いだ時に水が乾けば良かったのに。」
『日本古典文学大系「大和物語」』より

お供した柿本人麿が詠んだ歌もあります。
「わぎもこのねくたれ髪を猿沢の池の玉藻とみるぞかなしき」

意味は
「このいとしい乙女の寝乱れた髪を、猿沢の池の藻として見なければならないのは、まことに悲しいことだ」
『日本古典文学大系「大和物語」』より

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10世紀中頃に成立した「大和物語」に初めて登場し、「枕草子」に取り上げられ、謡曲「采女」の題材にもなった伝説です。
池の東には采女が入水するとき衣をかけたという「衣掛柳」の石碑があり、西北には采女神社が池に背を向けて鎮座しています。

采女神社

猿沢池に背を向けて建っています。
鳥居が東にあるのに、社殿は西向きなのは、采女の霊が池を見るのが辛いからだと言われています。
一説にはこの小祠は興福寺別院の北東隅にあり、もともと西向きで采女に関係なかったかもしれないが、在家に渡ってしまったため、東から出入りできるように東側に鳥居を建てたとも言われています。

しかし、江戸時代に一度社殿を東向きに建て替えたことがあったが、100年もせずにまた西向きに戻ったことからやはり采女の心情を汲み取ったのかもしれないですね。

龍神によみがえった采女

猿沢池には龍が棲むという伝説もあります。

古代の聖者と聖女の関係が終わった時、聖女は入水して龍体と化し、その龍はやがて鎮魂の祈りを込めて神として祀られたという。

春日龍神は水神として広く信仰を集めてきましたが、その舞台が猿沢池であり、春日奥山の竜王池でした。

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猿沢池に龍と鳳凰の形をした船が浮かべられ、花扇と共に池を2週回ります。

興福寺五重塔
秋の日差しが暑くてギラギラした夕方でした。

17時からは花扇奉納行列がありました。
数十人の稚児や御所車に乗った十二単姿の花扇使や姉妹都市福島県郡山市から参加しているミスうねめ、ミス奈良などが天平衣装を纏って市内を練り歩きます。

18時からは采女神社で春日大社神官による厳かな神事の後、花扇が奉納されます。

猿沢池の提灯に灯が入り、光が湖面に反射して幻想的です。

特別企画として「采女ものがたり」が行われました。
中橋怜子氏によるうた語りです。

19時、南都雅楽が奏でられるなか、花扇をはじめ、花扇使、ミスうねめ、ミス奈良、を乗せた2叟の船が猿沢池に浮かぶ灯籠の間をぬって池をめぐり、最後に花扇を池中に投じる雅やかな行事です。

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右に満月、左に興福寺の五重塔が見えます。

郡山市の采女伝説とは

采女伝説は福島県郡山市にも存在します。
姉妹都市として奈良の采女祭りにも参加されています。
郡山市の采女祭りは舞台は同じく猿沢池ですが、内容は少し違います。

約1300年前の陸奥の国安積の里(現郡山市)は冷害が続き朝廷への貢物ができませんでした。
このため奈良から巡察使葛城王が訪れました。
里人たちは窮状を訴え貢物の免除をお願いしましたが、聞き入れられませんでした。
その夜王をもてなす宴が開かれ、王は里長の娘、春姫を見初めました。
春姫は心から王をもてなし、歌を献上しました。

安積山影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を我が思わなくに

意味は
「どうして機嫌が悪いのですか。
安積山の麓に山の井の清水があります。
安積山の影を水面に映し、浅い井戸のように思われますが、どうしてとても深い清水です。
それと同じで私たちが王をお慕いしている気持ちはとても深いものです。
どうか機嫌を直してください。」
「安積采女とその時代」より

王は大変喜び、春姫を帝の采女として献上することを条件に、貢物を三年間免除することになりました。
春姫には次郎という相思相愛の許嫁がおり、悲しみをこらえて別れました。

京都での春姫は帝の寵愛を受けていましたが、仲秋の名月の日、次郎恋しさに猿沢の池畔の柳に衣をかけ、入水したように見せかけて愛する次郎の待つ安積へ向かいました。
里へ着いた春姫は次郎の死を知り、雪の降る夜あとを追って次郎と同じ山の井の清水に身を投じました。

やがてみちのくの安積の里に春が訪れ、山の井の清水の周り一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲きました。
誰ともなく二人の永遠の愛が地下で結ばれこの花になったのだと噂になりました。
「安積の花つかみ」とはこの花のことです。
この采女物語は郡山の夏の夜を彩るうねめまつりとして受け継がれています。

どちらの采女伝説も悲しいお話ですね。

郡山市の「うねめまつり」昭和40年に始まり、これが縁で奈良市と郡山市は姉妹都市を締結しました。

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カメラ:SONYa6000
レンズ:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS

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Published in世界遺産奈良

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