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悠久の唐古遺跡


弥生時代の遺跡

唐古遺跡とは田原本町大字唐古から鍵にかけて残る弥生時代の環濠集落遺跡です。
奈良盆地のほぼ中央の標高48mから51mの沖積地に立地します。
1936年ごろに行われた調査で土器や木製品が出土し、弥生時代の貴重なものであることがわかりました。
その後も発掘調査が進んでいます。

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唐古・鍵遺跡復元楼閣

第47次調査で出土した絵画土器の「楼閣」をもとに、1994年唐古池の西南隅に復元されました。
唐古池の西南角に建てたのは、戦前の発掘調査の際に弥生時代の以降が完全に失われており、遺跡の保存上問題がないと判断されたからです。

復元楼閣の高さは12.5mの2階建で、4本の柱は直径50cmのヒバ材を使用しています。
屋根は茅葺で、丸太で放射線状に抑えています。

弥生時代の絵画土器は土器の焼成前にヘラ状の工具で線刻をしたものが大半でした。
高床建物や人、鹿、魚などムラ周辺の存在する対象物が描かれました。
楼閣の絵は高さ50cmほどの壺に描かれたもので3つのかけらが残っていました。
弥生時代の建物は、これまで縦穴式住居や、高床倉庫と考えられてきました。
こうしたイメージは、戦後直後に行われた登呂遺跡の調査による部分が大きく、教科書などでもおなじみのものでした。

唐古・鍵遺跡の土器に描かれた楼閣は、2階、または3階建の重層構造と考えられ、建物の規模や構造において、これまでの常識を覆すものだったのです。

楼閣とは

土器に描かれた楼閣とは具体的にはどのような建物だったのでしょうか。
多くの学者が連想したのは、中国の画像石や明器(墓に備えるための焼物)に見られる楼閣建物でした。
楼閣は、中国では前漢時代後期に出現し、後漢時代に普及しました。
紀元前206年から220年の間のことですね。
時に中国の南方では楼閣の最下層に壁の見られない例があり、唐古・鍵遺跡の楼閣を考える上で参考になるとされています。

なぜ土器に描かれたのか

では中国の楼閣はどのようにして唐古・鍵遺跡の土器に描かれたのでしょう。
ある説では、中国を訪れた倭人や、中国から来た漢人が、中国の楼閣を描いたと考えました。
しかし絵画土器の題材は、身近に存在するものを描いた例が多く、そうすると唐古・鍵遺跡にも楼閣が存在した可能性が残ります。
歴史ってすごいですね。

いずれにせよ、大陸の文化的な影響が近畿に及んでいたことは確かで、当時の唐古・鍵ムラが、中国の史書にみる「国」のひとつであったと考えられます。

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渦巻き

唐古・鍵遺跡に特徴的な渦巻き状の屋根飾りは藤蔦で作られています。

のどかな田園風景と美しい東の山々の中に立つ姿は悠久ロマンを掻き立てられます。
土器に描かれた屋根状の逆S字の3本の線は渡り鳥と解釈し、木製の鳥を東西両面にそれぞれ3羽ずつ設置されています。

唐古池に浮かせるように建っています。
東の峰々が美しい稜線を描いています。

唐古・鍵遺跡

所在地
奈良県磯城郡田原本町大字唐古及び大字鍵
電車
近鉄橿原線石見駅下車東へ徒歩約20分
(約1.5km)
近鉄橿原線田原本駅下車タクシー約10分
(約2km)

京奈和自動車道 三宅ICから東へ7分
面積約10万平方メートル
発掘された出土品などは唐古・鍵考古学ミュージアムに展示されています。

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カメラ:SONYa6000
レンズ:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS

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Published in奈良

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