301年ぶり興福寺中金堂落慶
興福寺は奈良時代の幕開けである710年に創建されました。
その中の中金堂は1717年に火災で焼失して以来301年ぶりに再建され、落慶を迎えました。
平城宮跡の第1次大極殿の並ぶ巨大な木造建築で、「最新・最後の大復元」とも言われています。
この日は落慶法要が営まれ関係者しか入ることができませんでしたが、少しだけ華やかな姿を目にすることができました。
中金堂は714年に建立されてから6度の焼失と1度の延焼にあい、この度8回目の再建を迎えました。
平安時代には飛び火や失火、そして平氏の焼き討ち、鎌倉には落雷、戦火、江戸時代には盗賊による火災の延焼にあっています。
その都度7年から20年ほどで再建されてきましたが、江戸時代の盗賊による火災の延焼の後は仮堂で再建され、そして今回301年ぶりに再建されました。
天平時代の建築を追い求め、木材にもこだわったそうです。
再建には長さ10m、直径77cmの巨木が多数必要とされましたが、日本国内では見つけることが難しく、アフリカのケヤキ材を柱に、カナダのヒノキ材が梁に用いられています。
平成の中金堂は国際色豊かだった天平時代の文化を再現したとも言えそうです。
また最新の耐震壁が採用されておりステンレス板が使用されているそうです。
金堂(左)
西向きの建物
726(奈良時代)年に聖武天皇が叔母元母太上天皇の病気回復を願って建立されました。
6度の被災、再建を繰り返し今の建物は1415(室町時代)年に再建されました。
五重塔
730年に興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后が建立しました。
古都奈良を象徴する塔です。
南円堂
西国三十三所観音霊場の第9番札所です。
813(平安時代)年に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を祈って建てた八角円堂です。
地鎮を鎮めるために和同開珎や隆平永宝を巻きながら築き上げたことがわかっており、弘法大師空海が深く関わったことが伝えられています。
北円堂
日本に現存する八角円堂のうち最も美しいと賞賛されています。
興福寺創建者藤原不比等の一周忌に当たる721年(奈良時代)に元明太上天皇と元正天皇が建立しました。
興福寺の中では西の端ですが、ここは平城京を一望できる一等地、平城京造営の推進者であった不比等の霊を慰める最良の場所です。
新薬師寺へ
新薬師寺は747年前に聖武天皇の病気平癒を祈願して皇后の光明皇后によって創建されました。
聖武天皇は743年、動物植物ことごとく栄える世の中を目指し、皆で力を合わせて盧舎那仏を建立することを発願し、行基菩薩をはじめ多くの人々と共に大仏建立に着手しました。
しかし、745年に入り、山火事と地震が頻発したため、工事を中止し平城宮に戻り、大仏建立は平城宮の真東の山麓(現在の東大寺)で再開しました。
しかし天皇は体調を崩されたため、天皇の病気を治すために都とその名高い山、清らかな場所で薬師悔過(やくしけか)が行われ、都と諸国に薬師如来7軀を造立し、薬師7巻を写経することが命じられました。
悔過(けか)とは過ちを悔いるという意味で、薬師悔過は病苦を救う薬師如来の功徳を讃嘆し罪過を懺悔して、天下泰平万民快楽を祈る法要です。
鏡神社1746年の春日大社々殿が残る貴重な本殿
鏡神社の本殿は代々春日社々殿を下賜されてきました。
現本殿は1746年の第46次御造営の際に第3殿を移築したものです。
昭和34年の修理時、屋根から「三の御殿」との記録が発見されていて、建築当時に近い姿を残している価値の高い御社です。
近くで見ることができます。
こじんまりとした神社ですがとても迫力があります。
南円堂の柵の中に鹿が。
興福寺
法相宗 興福寺
【住所】〒630-8213
奈良県登大路町48番地
寺務所
【TEL】0742-22-7755
【アクセス】
近鉄奈良駅から徒歩20分
JRなら駅から奈良交通市内循環バスで5分
「県庁前」下車すぐ
【駐車場】国宝館となり
【料金】1000円
新薬師寺
【住所】〒630-8301
奈良市高畑町1352
【TEL】0742-26-1517
【アクセス】JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス
外回りで「破石町」下車。山手へ徒歩15分
鏡神社
【住所】〒630-8301
奈良県高畑福井町468
【アクセス】
近鉄奈良駅・JR奈良駅から奈良市内循環バス「破石町」下車
東へ写真美術館のサインに沿って徒歩約10分
Camera:SONYa6000
Lenz:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS
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