神様の御霊が満ち満ちた神社
枚岡神社の名前の由来は
一、山嶺平夷の所に創建せられたるより平岡と称せし
一、社地より南方は概ね平坦にして小高き岡なりしが故称せし
とありひとひらの岡が地名となり社名となったと言われています。
また大和ことばにはそれぞれ一字一字に意味があったとされ、「ひ」は神様の御霊、「ら」は沢山、一杯という意味があり、「ひらおか」は神様の御霊が一杯の「神気」満ち満ちた神社とも言えます。
主祭神
主祭神として祀られている天児屋根命(あめのこやのみこと)は「日本書紀」神代巻によると「中臣の上祖」「神事を司る宗源者となり」と記され、古代河内大国に根拠を持ち、大和朝廷の祭祀を司った中臣氏の祖神で比売御姫はその后神です。
経津主命・武甕槌命(たけみかづちのみこと)は香取・鹿島の神で共に中臣氏と縁深い神として知られています。
武甕槌命は歌春日大社が鹿島から招いたことで知られています。
枚岡神社は650年9月16日に平岡連れらにより山麓の現地へ奉遷されたと伝えられています。
枚岡神社の創祀は皇紀前まで遡り初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前と伝えられています。
神武御東征の時、神武天皇の勅命によ天児屋根命が平国(くにむけ)(国土平定)を祈願するため開かれました。
神武御東征
神武御東征は日本の国を治めるため、九州の日向高千穂から東に向かわれ、地方を治めながら日本の最中大和の国、畝傍山の橿原の地で即位されたと日本書紀に記されています。
これ神武御東征といいます。
その後浪速(大阪湾)に上陸し、生駒山を越えて大和国へ進もうとしましたが、生駒の豪遊であったナガスネヒコの大軍がこれを阻止しようと戦がおここってしまいます。
思うように進むことができないばかりか兄が流れ矢によって負傷するなど痛手を負います。
神武天皇は神のお告げによって「天照大御神の子孫でありながら、日に向かって敵を討つことは神の道に逆らうものである」と悟りました。
そして和歌山紀州路から吉野を通り、日を背に向けて大和へ進むことを決意します。
この時に枚岡神社の元となる神津地嶽にお参りし、国土の平定を祈願し、その後熊野を経て大和橿原の地に即位します。
金剛生駒国定公園と枚岡梅林
枚岡梅林の周辺は金剛生駒国定公園に指定され、春は梅、桜、新緑、夏は紫陽花、秋は紅葉と四季折々の美しい景色を見ることができます。
ハイキング道も豊富で年間を通じて人気です。
枚岡梅林は明治時代の神仏融合によってこの地にあった寺社などが廃寺になった跡地に梅樹を少しずつ植えたのが始まりです。
その後氏子の献木により規模が大きくなり毎年2月中旬から3月中旬にかけて紅梅、白梅が咲き誇ります。
枚岡神社
近鉄奈良線枚岡駅下車すぐ
普通電車のみ停車
時間帯によっては区間準急も停車
大阪難波駅から約30分
無料駐車場約40台
午前9時から午後4時
カメラ:SONYa6000
レンズ:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS
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