南都鏡神社

奈良
奈良

1746年の春日大社々殿が残る貴重な本殿

鏡神社の本殿は代々春日社々殿を下賜されてきました。
現本殿は1746年の第46次御造営の際に第3殿を移築したものです。
昭和34年の修理時、屋根から「三の御殿」との記録が発見されていて、建築当時に近い姿を残している価値の高い御社です。
近くで見ることができます。
こじんまりとした神社ですがとても迫力があります。

歴史

社伝には遣唐使発遣の祈祷所であった当地に平城天皇即位の806年新薬師寺の鎮守として創嗣されました。
祭神は天照皇大神、藤原広嗣公、地主神です。
近くには新薬師寺ほか。頭塔、吉備塚、不空院、春日大社などの歴史的名所があります。

藤原広嗣は式部卿左大臣宇合(うまかい)の長男で、母は右大臣石川麻呂の娘でした。
幼い頃より文武の才に長け、管弦歌舞の道、天文陰陽の技に精しく太宰少弐(だざいのしょうに)に任ぜられました。

この頃唐で修行していた僧玄昉と下道真備が朝廷の要職に登用され勢力を得ていましたが、地震、疫病などで都が乱れ、さらに玄昉は非行が多く僧にあるまじき所行がありました。

純真・剛直な広嗣公はこれを黙視出来ず、740年「災いの起こる悪い政治の原因は玄昉と真備にある」として天皇に自らの考えを採用するように求めました。

しかし朝廷はこれを謀反として広嗣公を打つ軍が出発し、広嗣公もやむなく兵を集めて戦いましたが、たちまち破れ討たれました。

志叶わず反乱の汚名を被って討ち取られたことで、広嗣公の御霊があらわれたそうです。
その後玄昉が急死したこともあり、世の人はこれを広嗣公の祟りとしました。また真備も肥前に左遷されました。
この左遷に際し、広嗣公の霊を祀り、鏡尊廟(現唐津市の鏡神社)を建てて崇められました。

頭塔伝説

玄昉が急死した際、遺体は奈良の地に飛散して、興福寺の境内に落ち、頭は頭塔山(ずとうやま)に、眉と目は大豆山町(まめやまちょう)に飛来したと言い伝えられています。
これは広嗣信仰が背後にあったからです。

現在地は広嗣公の邸宅跡と伝えもありますが、新薬師寺復興の際その守護神としてここに勘請されました。

摂社 比売神社(ひめじんじゃ)

新薬師寺の東南に鎮座しています。
古来より「高貴の姫君の墓」比売塚(ひめづか)として伝えられていた所です。

鏡神社

〒630-8301
奈良県高畑福井町468
近鉄奈良駅・JR奈良駅から奈良市内循環バス「破石町」下車
東へ写真美術館のサインに沿って徒歩約10分

近くには白毫寺があります。
https://narapic.com/byakugoji-2/

近くには春日大社があります。
https://narapic.com/kasugataisha/

カメラ:SONYa6000
レンズ:Vrio-TessarT*E 16-70m F4 ZA OSS

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